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2002年3月27日コロンビア大学ウェザーヘッド政策フォーラム By 緒方貞子 |
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(人間の安全保障委員会事務局仮訳) 9月11日はこれまでの安全保障に関する基本的概念を再考する転換点となった。これまで安全保障への脅威とは、攻撃的ないし敵対する意図を持つ他の国家から生じるものとみなされ、安全保障は国家の力を背景に検証されてきたといえる。国境や国民、制度や価値などの保護は国家の責任であり目的であった。国家は、自衛のために強力な軍事組織を築き、人々は国家の保護により安全を保障されると考えられてきたのである。領域は不可侵とされ、主権国家の国内問題への外部からの干渉は受け入れがたいものであった。 9月11日のテロ攻撃により、テロリズムそのものが強力で新たな脅威の源として位置づけられることとなった。テロリズム自体はこれまでも常に存在してきたが、今日とは次元の異なる規模でしかなかった。冷戦の終結により国家の後ろ盾を得たテロリズムは減少し、これらのテロ集団は著しい弱体化の徴候を見せたが、今度は民族分離を訴える組織が自治権や独立を追求するために、あるいは新興宗教か主要な既存宗教かを問わず、宗教に基づいた集団がその目的を達成するためにテロ手段に訴え始めた。すなわち、テロリズムの脅威はいまや国家の内側と外側の両方から襲いかかってくることが明らかとなってきたのである。 冷戦後の10年間で、戦争の性格は国家間のものから国内での争いへと変容したと言えよう。人々に対する危険の原因は、概して民族、宗教、政治集団が相対する権利や資源をめぐり、憎しみ合い戦うという国内的なものとなった。一方、国際社会はこうした集団の多様な要求に応える効果的な手段を欠いていた。民族自決主義を安易に適用することは国家を発展能力をもたない政治的、経済的構成単位に分裂させるのみである。地上15,000フィートからの空爆、あるいは何千マイルもの距離からのミサイル攻撃は破壊をもたらすことはできても、地域に根ざした紛争を直接解決することはできない。 さらに、国内紛争とテロリズムが複雑になり、また大きな問題となる上で、グローバル化が与えた影響を認識することが重要である。グローバル化は富や雇用機会を創造し多くの人々の暮らしを改善する反面、時として社会のより弱い立場にいる人々をさらに苦しい立場に追い込んだ。情報技術の著しい普及、交通とコミュニケーションの発達、そして資金の自由な流通は人々の移動と接触を促進したが、望ましく合法かつ安全な人々の移動と、危険で違法かつ犯罪行為を伴う移動との区別は測りがたいものとなった。政治的保護を求める人々や移住者の数は世界中で急速に増加している。9月11日に関わったテロリストたちの実像は、急速にグローバル化が進む世界において、ネットワークの可能性が現実に意味することを私たちに突きつけている。つまりこのことは、貧困と不平等により社会的正義が実現されていないと感じ、またその結果として疎外され、搾取され、憤りを感じている人々が、結束する新しい手段を見い出したということを意味する。米国に対するテロ攻撃に訴えたアルカイダのネットワークは、グローバル化が進む社会において何が新しい脅威となりうるかを示しているのである。 今日,国家は、広範に存在する深刻な脅威を封じ込めるため、より厳しい統制手段をとるかあるいは軍事力にまで訴えるかという難しい選択を迫られている。私は、国連難民高等弁務官として務めた冷戦後の10年間、自らの土地を追われた何百万人もの人々をいかに保護し、問題を解決するかという努めて実際的な問題に日々明け暮れていた。この時期、圧倒的に問題だったのは国内紛争であった。多くの人々が国境を越え、国際的な保護の対象となる難民となっていった一方で、さらに多くの人々が国内避難民となり、自国から何の保護も受けられず、またなすすべもないまま暴力と混乱の犠牲となったのである。一般市民が標的となり犠牲を強いられたこと、そして難民と国内避難民が混在したことが過去10年間の大きな特徴といえよう。職務を遂行する上で、私の関心は常にこれら被害者の安全を確保することと、よりよい生活のための機会を得られるよう支援することにあった。 こうした問題に実効的な解答を求めていく中で、私は、国家のみに人々の安全を確保することを期待するのではなく、人々の安全保障をより直接的に考えるようになった。安全保障に対する脅威の直接の被害者である「人々」に焦点をあてることで、彼らの必要としている保護を見出せるように私には思えたのである。また、人々の多様な関心や関係に注目することで、人々の安全に役に立っている、あるいは逆に安全を妨げている政治的、経済的、社会的要素は何かを特定することができると考えた。コンゴ、シエラレオーネ,ボスニア、あるいはコソボのどこであれ、治安が悪化し人々が避難しはじめる際に、人道機関は緊急支援を提供するため、あるいは政府や事実上の支配者と安全な通過や国境開封などを交渉するために現地に残った。被害者とともにいることで、人道要員は限られた範囲ではあったが彼らの安全を確保することができた。しかし人道要員には現地の警察を代替することもその法執行能力を強化することもできないし、交戦者を分離させたり兵士を復員させる監視団や平和維持軍としての機能を果たすこともできない。既存の組織の任務や機構は専ら国家の安全保障が前提となっており、人々の保護や問題解決の手段となるとほとんど存在しないのが現状である。 今日の世界において人々の安全を実現する手がかりとして、私は「人間の安全保障」の概念に強く惹かれた。そのころ、国際的な場においてもこの概念は重要性を増しつつあった。ミレニアム・サミットにおいて、コフィ・アナン国連事務総長は、人間は「恐怖からの自由」と「欠乏からの自由」を享受すべきであると強調し、これらを国連の最優先事項とすべきと宣言したのである。1999年、日本の故小渕恵三総理大臣は、人間は「その生存が脅かされたり尊厳を害されることなく」生きるべき存在であるとの考えを明らかにし、日本政府は小渕総理のこの考え方を2つのイニシアティヴとして具現化した。1つめは、国連に「人間の安全保障基金」を設立し、今日までに7,000万ドル以上を国連の事業実施に当ててきたことであり、2つめは、政策の立案と実施のために実際的に役立つ手段として人間の安全保障の概念を発展させるため、「人間の安全保障委員会」を設立したことである。 私は、国連事務総長の支持を受けて日本政府により設立された人間の安全保障委員会に、ノーベル賞受賞経済学者であるアマルティア・セン教授とともに共同議長として招かれたことを光栄に感じている。様々な分野において専門知識をもつ10名の傑出したな人物が世界各地から委員会に参加している。委員会の活動はまだ始まったばかりであるが、このたびウェザーヘッド政策フォーラムより要請があり、委員会の活動についてご紹介できることは、,委員会が活動を進めていく上でたいへん有意義な機会であると感じている。この場をお借りして、この素晴らしい機会を与えてくれた方々に感謝の意を表明するとともに、以下に委員会の活動の中で特に重要ないくつかの点をご紹介することとしたい。 まず、委員会は「人間を中心とした」人々の安全保障に焦点をあてている。委員会は、そうして焦点を絞ることにより、すべての人々あるいはすべての地域社会に関する人間の安全保障の問題を検証することはできないかもしれない。しかし、委員会は、その活動対象を人間にとって死活的かつ広範に存在する脅威に絞り込み、紛争の犠牲者、難民や国内避難民、絶対的な貧困におかれ、飢えや病気に直面する人々に焦点を当てつつある。一人ひとりの人間の安全保障という視点に加え、委員会は民族、信念、慣習などによって社会的に疎外されている人々の問題にも取り組んでいる。異なる集団の間での長期的な不平等という問題は、暴力を招き、最終的には人道的、政治的危機へとつながる中心的要因と考えられるからである。 次に、人間の安全保障への脅威に取り組む上で、委員会は2つのアプローチを想定している。それは、「保護」と「エンパワーメント」である。保護は、早期警戒から基本的な人間のニーズへのアクセス、司法制度や国家機関の構築に至るまで、幅広い介入行為を必要とする。一般的に、初期の行動は犠牲者である人々の側のみならず地域社会全体とってもコストが小さいと考えられているが、近年生じた危機について私が感じるのは、早期警戒の欠如というよりもむしろそれを受けて適切な行動をとる能力がなかったことにより、人々の間の緊張が武力紛争や内戦に発展したのではないかということである。人々は、ある脅威が自らの生き方を全く変えなければならないほど切迫したものでない限り、ベストではないにしても他人より有利な政治的、経済、社会的な秩序を変えたいとは思わない。コンゴであれコソボであれアフガニスタンであれ、警告は十分だったにもかかわらず十分な対応は得られなかった。予防の側面に近年焦点が当たっているのは喜ばしいことではあるが、予防の側面が政策を実施する上での常識となるまでには相当時間がかかろう。この点、委員会はその活動の中でこれらの概念を突き詰め、具体的な行動規範として国際社会に示す使命を帯びているといえる エンパワーメントはより大きな可能性を秘めている。エンパワーメントは、開発援助が長い間目指してきたボトム・アップの考え方にも通じる。アフガン復興計画においても、地域社会構築を優先的に行うことはエンパワーメントにより焦点を当てることにつながることとなろう。人々が保健、教育、その他の社会サービスを受けることがほとんどできず、20年にも及ぶ殺害や暴力、強制的な人の移動などにより苦しめられたアフガニスタンでは、国家再建のための優先事項として、エンパワーメント以外に選択肢はない。人々が力をつけ将来の安全が保障されることと、国家を安定させることとの明確な因果関係が明らかとなれば、人間の安全保障アプローチが正しいことの証ともなろう。 委員会の最大の課題は、幅広い人間の安全保障問題に取り組むための包括的なアプローチを示すことである。概して、国際社会によって採られているアプローチは、人道支援と開発支援に代表されるいくつかのカテゴリーに分けることができるが、委員会の使命は、貧困と紛争という二つの分野を結びつける概念的連関を示すことである。これらの分野がいかなる相乗作用を持ちうるのか、あるいは持ち得ないのか。人々を苦しみから救う上で、人道中心のアプローチと開発中心のアプローチはあまりにも切り離されて議論されることが多く、それぞれのアプローチは、異なる学者、専門家や組織により開発されてきた。「欠乏からの自由」、「恐怖からの自由」は人々の苦しみや危険をなくすために、国際社会が包括的に取り組むべき問題である。セン教授と私は、人間の安全保障に対する挑戦の異なる側面にそれぞれ直面してきた経験から、長い間概念と行動を隔てていた壁を取り払うために手を取り合った。既に、私達はお互いの理解が近づいてきていると感じている。 最後に、私が繰り返し強調したいのは、委員会の使命が人々の安全保障に焦点を当てることであり、人々を通じて国家の安全保障を補強することだということである。委員会の目的は人間の安全保障により国家の安全保障を置きかえることではない。それらはいずれも必要な概念であり、互いに補完しあっている。一方で人間の安全保障委員会が示すべきは、安全保障の提供主体として専ら国家を想定する伝統的な考え方からのパラダイム・シフトである。人間の安全保障委員会は人々と直接に向き合い、人々の生命を死活的かつ広範な脅威から守り、人々がその尊厳を全うすることを目的としているのである。
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